【右腕日記】Don’t think. feel. (2)
なにかを作るときに、お客さまの「本質、本当のきもち」を感じ取りたい。
なぜそれができないのか。どうすればできるようになるのか。
こういうことはやみくもにやってもだめなのだ。笹目さんの真似したってだめなんだから。
そもそも、私には自分に都合よく解釈するところがある。
ただ「そのまま受け止めればいい」だけなんだけど、
ありのままを感じ取ること自体をなぜかこわがっちゃうんだよな。
どうしても「都合よくまとめようとしちゃう自分」っていうのが出てきちゃう。
そうやってなんかもやもや〜っとしていたとき、「海獣の子供」を映画館へ見に行った。
自然への畏怖というか、人間にはどうにもならないような世界を描こうとしている作品だ。
大画面で展開していく迫力に、なんともいえないこわさを感じているのに、
そのときも私は「作者は自然への畏怖を描こうとしているのだ」などと都合よく解釈を加えて
「こわくない」と自分を納得させようとしていた。
考えることで、今目の前で起きている映画そのものが入ってこないようにしていた。
はっ! これは打ち合わせのときと同じだ。
聴いているつもりで実はシャットアウトしてたのか・・・。
そこで、実験してみることにした。考えることをやめてみたらどうなるんだどう。
こわいなあと思いながらも、映画にただただ気持ちを向けてみた。
そしたらね、なんていうんでしょう、映像が身体全体をとおりぬけていくような、不思議な体験だった。
このとき私は思ったのだ。
もしかしてこれ、ブルース・リーが言ってた「Don’t think. feel.」なんじゃないの?
話はもどりまして。
お客さまの「本質、本当に言いたいこと」を感じ取れるようになったのかというと、まだわからない。
ただ、お客さまのお話も、考えるのではなくてまるごと感じ取ろうとするようになった。
つまり聴くときに、全身を使うようになったのだ(感覚のはなしですよ)。
そうすると、今までよりもちょっとだけ深いところで共感や感動をおぼえているし、
つくるものにもダイレクトに影響していると思う。
仕事のはなしなんだか、映画のはなしなんだかよくわからなくなってしまったが、
自分なりの「感じ取り方」っていうのがあって、それにちょっとだけ気がついたんだよ、ということが書きたかった。
おわり