栗林弥生さんとのやりとりから見えてきたTRUNKの今
『それぞれの会社のやるべきこと、こうすべき、あるべき姿 みたいなものを感じ取って「ここじゃないですか」って言って、そこに一緒に到達する。というのをうちは提供する。』
ここ数年で、デザイン会社でありながら、「いわゆる昔ながらのデザイン会社」とは違ったクリエイティブを提供している現在の「TRUNK」をどんな言葉で世の中に伝えたらいいのか、について試行錯誤していまして、その取り組みの一つとして「取材屋」の栗林弥生さんに月に一度来社してもらって話を聞いてもらっているという試みがあります。
栗林さんはこちらの話を自らの興味と関連付けて理解を深め、自分のものさしで感じ言葉を返してくれる方なので、栗林さんとやり取りしているうちに、自然とこちらの思考が深まっていくという効果をもたらしてくれます。
これは彼女が「ライター」ではなく「ディレクター」だからできるのだろうと思っています。
先日来社いただいた時のやりとりも期せずして「TRUNKが今お客様(世の中)に提供していること」をテーマにした鼎談のようなものになり、とても興味深い内容になりまして、「TRUNKとはどんな会社なのか?」を伝えるヒントのようなものになるのではないかと思い、ぜひ皆さんにも読んでいただきたくブログでご紹介することにしました。
栗林さんが後日ミーティングの内容を議事録にまとめてくれたものをそのまま掲載しているので、多少読みにくいのですが、あえてライブ感というか、整理されない前の生の声にしか宿らないこともあると思うのでそのまま掲載しました。ぜひ語られていない行間の部分は想像力で補っていただきながら読んでみてください。
●茨城には欲しい人材の気配はあるのか
・あまりいない ・ミッション、バリュー、行動指針、将来性などを明示していかなければ
●作る姿勢をどう伝えるか。
(笹)サイトは出来上がったものを出す場。過程の混沌さは出してこなかった。でもドロー イングアンドマニュアルの文章はそういうのも含んでいる。ああいうやり方があるんだな と。「ケンカをしながら作ってます」と書いてしまうと違う印象で捉えられる
●「これでいいのだ」の言い換え「やるべきことをやる」について
(助)やらなきゃいけないことをやろう。モダンの言葉が指している意味を自分なりに証明しようみたいな話をしていましたよね。皆さんがそれぞれ、本当にやらなきゃいけないことは何だろうかというのを見つけていくのが仕事っていう風に言えるかな、ってちょっと言ってたんです。やるべきことって、資本のサイクルに乗っかって売り上げを上げていくことを、経営者の人が本当にしたかったのかってことなのか。自分たちが会社を始めた大本にあるものってそもそも何だったんだろうねっていう話をしていきたい。社員の方が体験としてそれをどこまで理解しているのか。元々会社がやろうとしていたことがブランドコンセプトだとしたら、私(社員)が思う、これはハマるのではみたいなことは結構あると思う。 経営者は社員にそういうことが湧き上がることが嬉しいはず。そういう意味で(本当に)やるべきこと、一つ一つの会社がやるべきことというか、そういうのをもう持っているはずだから、どこかに忘れちゃっているだけ、思い出す、取り戻す、そういうイメージかなと。 そもそも何がやりたくてこの仕事を始めたんだっけっていうのはみんなきっとあると思う。 そういうのが本当に働くっていう面白さだと思うよね、と。
(栗)「Personal Definition of Success」という言葉を本の中に見つけたんです(個人的な人生の成否/by 星野道夫)
(助)そう、結局は“個人的な”。結果それが社会に繋がっていく感じ
(笹)今、ワークショップが終わりブランドコンセプトができ、物を作っていこうという段階のお客さんがいる。モンゴルの商品の良さを日本に広めたい。社員にとっては行ったこともないから抽象的、興味が無い。社長も伝えることを諦め、事業もうまくいかなくなり社員も代替わり。新しいメンバーと新しく商品のブランドを作るプロジェクトが始まった。でも結局は、社長の思いに共感して理解して、社員が日々の自分の業務にあてはめられるかでしか、モンゴルという特殊な商材を扱う会社の成長は無いし、世の中にも伝わらない。BANSOのワークショップを通して「伝えないとだめだ」となり、「大草原を心に描く」というコン セプトができ、ワークショップを通して社員みんなが心に大草原を描き始めた。プロジェクトはみんながそれを描けた時点でうまくいくだろうなと思った。
つまり、企業を運営していく上では、仕事では、初心とか社長の思いは一旦邪魔なんじゃないかというバイアスがかかる。思いが隅っこに追いやられて引き出しに入って何年も経ち、 形だけが残って機械的に動くだけ。そうなると会社の魅力が何なのかわからず仕事している人たちの集まりになってしまう。 結局仕事は、本当は最初の思いみたいなものが常にあって、それがみんなに伝わって仕事が動いていることが理想だしシンプルだし一番強いし、それがやりたかったことだよねって。
(栗)なぜ社員みんなが心に草原を描けたのでしょう?
(笹)「こうあるべき」が何となくわかるという私の強みと助川の特性が相まって、うち独自の視点になっている。それがうちが提供できるものだと気づき、それを世の中に取り入れてもらうためにたどり着いたのが BANSO ワークショップ。それをやっていくと、我々も皆さんも「これだよ」と気づき、形になっていく。意外とシンプルなところ。ただ全ての企 業に我々がこれを提供できるのかはわからない。必要の無いところもある。
(助)個人的であるっていうことはすごい大事。
(栗)社員も個人的な気持ちで働くと、等身大の1馬力になれると
(助)ブランドコンセプトが自分の中に入ると、自分の能力と会社が求めているものが合わさって、もっと開花するというか。一人だったら生み出せないことが、組織だから大きく実現できる可能性があるかもしれない。モンゴルのことは、それぞれの発想が開けた。
(助)「ブランドコンセプトは皆さんから紡ぎ出された言葉だと思うんですがどうですか」 と提案する。そうすると逆輸入のように個々の社員さんの中に入り、しばらく会わない間に変化してびっくり。
(笹)ワークショップで見えてくるのはむしろ我々。お客さんが下地を作っている。自分達でも言葉を考えていたりして。私たちがコンセプトをプレゼンしてステイトメントも付け、 1カ月後にパッケージの打ち合わせをするときには熟成している。その言葉を核に、社員それぞれが行動を起こしていたり、考えが深まっていたり。
(助)モンゴルの映画をお昼休みにみたり、モンゴル料理を食べる会を開いたり。今まで商品の知識として、ウールの成り立ちやフェルトの作り方は知っていたけど、「大草原を心に 描く」のコンセプトがそれぞれに入ったら、モンゴルが身近に感じられるように。生活の知恵が息づいていることとか。モンゴルに行ったことはないけど、それぞれの方法で風景を描くことはできる。いつも一緒に働いていたモンゴル人スタッフに聞いてみるとか。そうやって自分なりに体験したことをお客さんにどう提供するかが合致してきて、それは面白いんじゃないかなと思う。分断されていないから。元々持っている感性、才能がどんどん開かれて。本人も私達も社長も嬉しくなる。泣けちゃうくらいの瞬間だった。
(栗)「これでいいのだ」以上のものを感じるような…
(助)そうかもしれない。「これでいいんだ」って思った先のことなんでしょうね、きっと。 矛盾しない。(コンセプトを整理する前は)ひとりひとりがやろうとすることが、社長の目線から見て「勝手にやってんじゃない、そうじゃないよ」ってことはいっぱいある。それが嫌だから社長は時には押さえつけ、自分の考えじゃなくてとりあえず会社をまわすとか。だからコンセプトを共有してひとりひとりが「こっちの方が面白いと思う」と感じているもの が、社長にとっても「ああそれいい、いい」って思えるって、すごい幸せなこと。「好きな ことやれ」って言われても、ずれがあることは結構あると思うんです。
(栗)色んな社長さんの「好きなようにしていい」って言葉をよく聞くんですが、本当のと ころはどうなのかいつも気になっていました
(助)(矛盾があると)その「好きなこと」は違うんだよ、って多分言いたくなっちゃう
(笹)そういうんじゃないの、っていう
(助)社長さんがそう思う気持ちはわからなくもない。繋がってなさ、悲しさ。社員は「え、 好きなことをやっていいって言われたからこっちは言ったのに何がだめなの」みたいなことってあると思う。開花のされかたが、全然そこに矛盾が無いというのが、何かとっても幸せというか、祝福されてるじゃん、みんなに。すごいね!みたいな。会社からも認められ、 本人も「あ、私これで面白いって思えてる」とか、それはすごい幸せなことだなって
(栗)社長さんも、社員さんへの本当の興味が開くのでは。社員の仕事への気持ちや本当の力を知らないまま働いてきたのが、ワークショップでわかるものがある。そうすると違う意見が出ても聞く耳が持てるとか
(助)うん。もうちょっと言うと、より進んだものが生まれてる感じがする。「大草原を心に描く」というブランドコンセプトにして、次は商品のコンセプトを考えるステップ。そのヒアリングをするとき、違うスタッフが数人参加してモンゴルの商品を通して何をわかっ てもらいたいかって話をしたときに、「遠くに気心の知れたモンゴルの友達がいるって思っ てもらいたい」って言っていた。それを聞いてグッときた。どういうことかというと「日本のあくせくしたスピードで働くとワッとなっちゃうけど、遠くの親戚とか遠くの友達に会って“あの人は変わらないな”って思うだけでホッとする」みたいな、そういうのを商品を通して感じてもらいたいって言っていて。そういう開かれ方って、その場にいたみんながワッてなったんです。そんな風に言葉を自分の中に落とし込んで、また新しく生まれてくる。で、本人も「何か今日楽しかった」って。いやそうでしょうね、みたいな。元々彼女が持っていた豊かさみたいなものが、そこで初めて。元々LPのデザインをやっている方で、それだけ では開かれなかったはずだよねと。
(笹)ウランバートルからすごく離れたところにいるヤクの乳を腐らないように加工する施設を作った兄弟がいて、そこから加工製品を輸入して売っている。良い物を世の中に伝えたいと思って加工場を作った人。あとは純粋なはちみつを加工して輸出している、モンゴル人をたくさん雇って雇用を作って元気の良い日本人のおばさん。社長が直接会って買い付ける。生産者それぞれのエピソードは、社員にする必要はないと思っていた。だけど大草原を心に描きだしたら、そういう話に聞く耳を持つようになった。その人たちのことを身近に感じて、遠くにいる友達みたいな人だと思ったと。良い物を作ろうという人たちの絵を描いている。それって第二創業みたいな感じがする。第二創業に立ち会った人たちは大草原を心に描ける。立ち会えなかった人たちは同じようになる可能性があるから、そういう組織に対しては行動指針含め、コンセプトを日々の業務に落とし込む言葉にしていかないと何なのかが分からなくなっていくと思う。コンセプトを理解したうえで、こういう行動指針で日々やっていくんですよというシステムを作っていかないと。で、同時に実際にモンゴルに行っ たり、社長の思いをどう継承するかの試みを、会社のなかで日々取り組む必要がある。大事なことだから。そういうものも我々は必要だと思うし、我々にとっても「これでいいのだ」 を提供する。やるべきこと、それが今の例に出したモンゴルの輸入商社のお客さんに対して は、それが我々が提供するべき、やるべきことだって判断したことだったんですよね。みんなが社長と同じようにモンゴルのことを感じることで、モンゴルの商品を扱う会社としてきちんとお客さんにもそれが伝わる。それは本当は当たり前のことだけどできなかった。自分の解釈で自分の言葉とともに商品を紹介すると全然違う。そうするべきだと思う。それがやるべきことだと思う。そういうそれぞれの会社のやるべきこと、こうすべき、あるべき姿みたいなものを感じ取って「ここじゃないですか」って言って、そこに一緒に到達するというのをうちは提供する。それを日々の業務に落とし込むとしたら何なのか、それを言語化していかないと、うちら2人以外がわかっていないということも起こり得る。
お客さんに対してもそうだけど、TRUNKでも行動指針を作っていかないといけないし、その前に「これでいいのだ」っていうコンセプトをうち独自の言葉として形作らないと、行動指針とリンクさせられないなっていう。そこで先週助川が思いついたコンセプトが、「やるべきことをやる」っていう考え。「これでいいのだ」に代わるものとして。
(助)「やるのを見つける」的な。お客さんがやらなきゃいけないことっていうことがあるってことですよね。私達じゃなくて、お客さんが自分の働いている時間をかけてやらなきゃいけないことっていうのが多分みんなあって。それが何なのかっていうのがわからないと苦しいんですけど、分かればあとは失敗しようが何しようが勝手。それは苦しさを伴うけどやっぱり幸せなことかなと。つまんないな、会社に来たくないなと思いながら仕事をしなくちゃいけないというのも、この良くなさに比べたら壁にぶつかろうが大変な思いをしようが、それでも「自分たちがやるべきことはこれだ」って思ってやれている方が。どっちも大変だから、それを見つけるための何かは役に立てることは TRUNK はあると思う。
(笹)従業員がその意識になるには、会社がそうなっていないといけない。経営者が思って会社の仕組みがそうなった上で、社員も「こうすればいいのね」ってなって、そこに自分らしさが転嫁できる、とならないといけない。そうなってないのに「自由にやったらいい」ってやると、「違うよ」って話になっちゃう。(コンセプトがはっきりしないまま)突き詰めて話してみたら全然違うこと考えてて、違いましたねってなっちゃう。社長がそうして欲しいなら、会社がそういうシンプルな整理ができていないと、社員もどうしたらいいかわからな い。だから我々は、「会社はそういうものじゃない」っていう考えではなくて、そこを整理した上で社員がのびのび働ける。自分らしさをその会社で見つけられるとか。こういうことなら自分は提供できると思えるとか。会社に受け入れられるとか。上からシンプルに通るような道筋みたいなものが作れるんじゃないかなと思っていて。それがアウトプットされるものにも反映されていて。っていうのをやりたい。でもそうあるべきだと思いませんか。そうするとみんな楽しく働けるんじゃないかなって。
創業者とか2代目の会社とかは、我々の提供するものが響く感じはするんだけど、さっき言ったような都内で投資家がいて、どうリターンするかがビジネスの大きなテーマになって いて、クリエイティブもどう投下すればどう当たるかやっている仕事がこの間あった。そういう仕事は合わない。創業者の思いっていうのは必要とされない。効率的で魅力的で差別化されたクリエイティブを提供しろ、お金はかかってもいいから早くという仕事が世の中にはあり、うちと全然関係無いと思った。我々が考えているものをみんな欲していると思ったけど、そうじゃない世界があると思った。だけど nendo のお客さんのように、社長とオオキさんが話し合って決めている大きい会社もあるから、巨大な会社だから一辺倒ではない んだなと。
(栗)「やるべきこと」の主語はお客さん?
(助)お客さん。私たちの主語でいけば、「お客さんのやるべきことが何なのかを見つける」かな。その入り口みたいなものを見つける。やるべきことを見つけるというよりは入り口。入った先で何をするかをやるのはお客さんだから、どこでもドア?
(笹)そうそう。だからお客さんのやるべきことを見つける手伝いをする的なものなんだけど、コンセプト一言という洗練のされ方ではない。あとちょっと。あるべき姿になるために、 やるべきことをやる、だったり。
(栗)あるべき、やるべきの抽象的なところをもう少し具体化すると、伝わりやすそう。説明をしなくても核が見えるような感じの。
(笹)色々話を聞いていったりやりとりをしていくと、どうあるべきかみたいなものが何となく見えてくる気がするんです。そこにたどり着くにはどうしたらいいか考えながら色々やっていくんですけど。どうあるべきかというのを感じ取って、「こうじゃないですか」っていう確認をするんですけど、何となくそこは当たっている気がする。そこにまっすぐ到達するのは大変で、いつの間にかブレるけど、どうあるべきかを的を外さないで感じ続けているって結構大事なことだなと思って。
(助)今日、別な仕事のブランドコンセプトを考えなきゃいけなくて「100分 de 名著」 のレヴィ・ストロースの回をずっと見ていたんですけど。仕事には2パターンあって、プラクシスとポリエーシスっていうのがある。プラクシスは「実践」と訳されていて、人間が自分自身の目的を果たすために事物を変形して利用するっていうことがプラクシス。対してポリエーシスは、事物をそれ自体の目的のために作り出す。人間の目的のために変形して使うものじゃなくて、土とか木とか、職人とか芸術家の仕事をしていたんだけど、自然物の中に隠れている目的を外に取り出して役に立つ道具に仕立てるっていう。 この話を聞いていたときに、いわゆる自然のものもそうだけど、人間もそうじゃないかなって思ったんです。会社の役割を果たさせるために無理やり人を変形させてやらせるのではなくて、その人が本来持っている目的があって、それが隠れているんだけどそれを外に取り出して、人間自身が役に立つ道具になっていくみたいな発想は、なんかすごくわかる気がするって、さっきのモンゴルの会社の方の話にすごく通じるし。自然の話をしているんだけど、 日本人は自然と分断しないで生きてきたっていうのはそういうことなんじゃないかっていう、レヴィ・ストロースの見立てがあって、日本はそういうのができている唯一の国なんじゃないかって言っていたそう。その番組で中沢新一さんがこういうことを無意識にやっていたと熱くなっていた。西洋的な考えが入ってきても、自然と分けることができなかったの が日本人。「これが俺たちの誇りだ」って持ち続けてきたらそれが貴重なものになり、そこにレヴィ・ストロースが気付いてくれたんだと。つまり自分達だったらわからないけど、文化人類学を研究してきた人から見ると、それが全く違って映ってる。「これってこういうことじゃない?」と言ってくれている。それがあるから日本に生まれて解明をやらなきゃいけ ないと思っている、って話していた。気付いてくれる他者の存在の大事さを語られててすごく面白かった。
ポリエーシスって、職人の技の話が例えになっている。つちなりとか陶芸家は言うけど、そういう話と最初理解していた。でも人も一緒だなって、しかも仕事、労働の話をしているし、 人間自身も人間というそれ自体の目的のために、目的が何なのかを取り出して、それを社会に道具として役立てていくイメージだなってちょっと思ったんです。
(栗)「美の壺」のアシスタントをしていたとき、神輿の彫刻師のインタビューで、「自分で龍を形作ってはいない。そこに元々龍がいるから、いらない部分をとってるだけ」って言っていて、いま私が取材で大事にしていることで
(笹)大工仕事の話を思い出した。龍がいるっていうのは、木拾いの時点でわかることだと思う。どの部分にどの柱を使うかという見立てが全てだという。選んだから、あとは加工するだけ。一番大事なのは、どこにどれを使うか選ぶところ。それを間違えると良くないものができる。龍を彫るのに適したものは選んであるから彫るだけという話と一緒だなと。大工さんって昔からいる職業。その人はプレカットしない木材を自然乾燥して、自分で木拾いして適したものを自分の手で加工して、自分で家を作ることをしている大工さん。それは近代の職業ではなくて、古代からやってきた仕事を受け継いできた稀有な職業だと思った。日本人の生き方と仕事の仕方、自然との付き合い方みたいなものが残っている職業として、結構 珍しい仕事なんだなって。意外と何千年も受け継がれてきた仕事を現代人がやっているその人なんだなと思って。だからこそああいう考え方をしているんだなと、ポリエーシスと龍の話を聞いて思いました。
(栗)それをトランクさんはやっている。木拾いをしてないようでしているような…。してる?「うちに合わないお客さんはいる」ってよく言っているから。
(笹)木拾いしないでプレカットですぐ建ててみたいな話しですよね、無理やり角材にしたやつで、ちゃちゃっと素敵な家を建ててくれよっていうことは、できないんでしょうね、きっとね。木拾いしましょうよって。木拾いしないと最終的に良い家はできないんで、っていう発想に近いのかもしれないですよね。
(助)尊いなと思うのが、木がそのまま立ってたら、龍が現れないっていうことなんですよ ね。そこに職人がいて見つけてくれて、わかるように存在を表してくれる。その人がいない と、ここに龍がいることを誰も気が付かない。木自身が知っているかもわからない。そこが 関わるっていうことの面白さかなって思うんです。本人がその存在に気が付けていないこ とはよくあると思う。忘れちゃったり、いつの間にかすごい深い所に引っ込めちゃったりす ることってあると思う。それを一緒に「あるよね、あるよね」みたいに認めていくことがで きると、そこから存在そのものがそれこそ「これでいいのだ」。「いていいんだな」って思い 始めて、開花するみたいなイメージ、何て言ったらいいんだろう。いないことにされてたん だけど、「いや、いるよね」って誰かが見つけてくれて、「いるよね!」みたいになると、「じ ゃあやる」みたいな、存在そのものの変化っていうのが起きるんじゃないかなっていう感じ はする。
(栗)生きてていいよって
(助)そう。その会社の中にも埋もれていたり、本人の中にも埋もれていたりって、自分で は見つけられないんじゃないかなって思う。見つけられる人もいると思うけど、それは滅茶 苦茶自分と向き合っているか、もしくは他者に触れている人かもしれない。色んな人に会っ ている中で自分はどうなのかなって反芻できる人っていうか。そうじゃないと埋もれたま まになっちゃうんじゃないかなって。
●助川さんの役割
(栗)気になったのが、社員さんの変化まで起こせるのは、笹目さんの個別化の力と、助川 さんの力だという話。その助川さんの力とは、笹目さんはどう思いますか
(笹)助川さんは(ストレングスファインダー分析でいうと)「学習欲」と… (助)私は「最上志向」っていう。日本人はみんな高いらしい。私の解釈では、個が持って いる一番良い状態っていうのが何なのかっていうのを知りたいって思っているというのが、 そういう解釈なら理解できるなって。
(栗)「学習欲」は、助川さんがいつも色んなものを紐解いている様子になるほどと思いま す。こういう力がお客さんに働いている感じはしている?
(笹)そうですね。特に BANSO が始まってからは、今まで発揮する必要が無かったんでし ょうね。ただ打ち合わせしてきて物を作るっていう。そこにその能力をどう挟んでいってい いかわからなかったんでしょうけど、BANSO というワークショップを通してまずは作る前 にそういったものを掴んでから制作に入って行く過程ができたので、能力を発揮する場所 ができた。
元々、僕は「個別化」と「着想」というのを持っていたんで、それを一人で短い時間でやっ ていた。ほとんど勘になっていた。1~2時間でフル回転して「こうですよね、じゃあ作っ てきます」って仕事をしていたけど、そうするとどうしても勘が外れることも多い。 ワークショップで話していくうちに出てくる感情みたいなものもある。最初は打ち合わせ みたいに始まるけど、実は社長の悩みが聞くべきところだったとか。やっていくと、社長は どんなところなのか、どう伝わってるのか伝わってないのかが一番大事で。そういうのは物 を作るというのとはまた違う内側の前段の話で、でも物を作るのに非常に大事でとか。そう いうのが背景にありそうだなと思いながらも物を作る情報だけしかないまま作っていたり していた。それ以上の時間と機会を持つようになって、助川の「最上志向」の能力と僕の「着 想」と「個別化」みたいなのを合わせていくと、意外と紐解いていって、「あるべき姿がや っと見えてきました」みたいな、「ここでした」みたいな。勘に頼ることもなく。勘は働か せてはいつもいるんですけど、確証を得ながら仕事をするみたいになってるんですよね。そ ういうのに興味を持ってやってくれるので。
(助)笹目さんだけが(あるべき姿を)わかっていても駄目なんですよね。お客さん自身がやっぱりわかってないと。お客さんのものだから、足並みが揃わないと、せっかく作ったも のがうまく役立てられない。それは意味が無い。お客さん自身がどのくらいそこを深めると いうか、自然と(発途?)するみたいになるのが一番良いんですけど。
(栗)お客さんがわかっていないと意味が無いから、わかっているかどうかを注視してくれ ている助川さんという
(助)でも割と関係無さそうなことも言っちゃってる。それでも逆に良くて、お客さんがそ こに反応してくれればいいし。私がわけわかんないことを言ってるのを笹目さんが補足し て言ってくれることもあるし。でもお客さん自身の考えが深まれば何でもいいですよね。多分それが一方向だけだと一方向になっちゃうけど、何方向もあって他の人もしゃべり出す みたいになると、それぞれ勝手に考えだすっていうサイクルが起きやすいっていうのはあ るかも。
(栗)そういう二人三脚の在り方を知ってみたかったんです
(笹)ウルトラマンエースの北斗と南みたいな。一人でやってるように見えてそうでもない ものってあるじゃないですか。うちは僕が考えた会社だから僕がやっているように見える んですけど、かなりそういう意味では、頼ってるとかではないんですけど、例えば助川が何 かを言い出すことがあるけどお客さんに伝わっていないことがあるんです。だけど僕はそれが何のために言っているのかわかる。そこで「つまりこういうことですか」って聞くんで す。で、「だそうですよ」って促す。そうするとお客さんが「ああ、」って話が始まる。そう いう「ああ」みたいなきっかけに関しては僕からは出ない。彼女が訳の分からない話を言っ て僕が意訳して伝えることで、「ああ」が起きて。その種は、それに関しては僕からは出な い。僕の意訳を通して理解のきっかけになり話が進んでいくこともあるし、僕が「こうある べきですよね」って僕だけわかっているっていうことを助川が「お客さんはわかっていませ んよ」みたいなのでバランスを取ってくれることもある。その辺が北斗と南。
(助)意識してやってないんです。相手にわかってもらおうっていうよりは、湧き上がって きたものをそこで言っているような感じだから、全然伝わらない時もある。でもまあいいか、 みたいな。恥ずかしいことを言ったとしても。お客さんも何を言っても間違いじゃないっていうのが伝わってくれたらいいなと思うんです。
(笹)だからポリエーシスですよ
(助)そう。結果オーライですけどね。笹目さんがそれを面白がってくれるからというのは あると思う。
(笹)二人の役割はどうなのかって思った時、極端な話社長のやりたいことをサポートする とかではない。北斗と南(笑)
(栗)私が初めて来たときから、何を言ってもいい場だというのは助川さんのお陰でわかりました。何でも話して良いと思わないと、本当の所は出てこないですよね
(助)実際どこまでかっていうのは、ビジネスライクなことを言わなきゃって皆さん思っていると思うんですけど、それでもあの場所で言葉を出せたことに価値はありますよね。
(笹)究極は、何を言っても許されて、言ったことが全て役に立ってる、仕事にプラスになっているという状況が一番望ましいじゃないですか。社長でも社員でも言いたいことを言うことが全てあるべき姿に向かっているっていう。「こうあるべき」をそれぞれの表現とかそれぞれの考えで言っているっていう、常に何を言っても建設的になってるみたいな。それが望ましいじゃないですか。どうせ働くならその方が良くないですかみたいな発想なんです。どう考えてもそうできない、そう考えられないならやめたほうがいいし。ここで働きたいとか、この仕事を経営者としてやり続けたいのであれば、そういう状況を作り出して、一 人じゃできないからみんなでそういう状況になって、突然トンチンカンなことを言っても実はそこに繋がってるっていう、あるいは話しましょうってなったら常にそこにしか向かってないとか。それはあるべき姿だと思うんですよね。
(栗)一番 TRUNK さんが発揮できるのは社員さん含めた「みんな」でのこれでいいのだを探すこと?
(笹)BANSO はそこ。新しく、事業再構築補助金では社長向けというのが今までやってこなかった事業。まずは社員さんも巻き込んでいかないと。社長向けは、社員に共有する前に もっと混沌とした塵のようなものから形にならないかなみたいなものを一緒に考えられないかねと。そういう取り組み。 だから「こういうこと言っちゃったら」みたいな思う気持ちはわかるんですが、無い方が良 い。口に出た言葉が全て受け入れられるとか、安心して、「あれについてだよね」みたいな前提でみんなの会話がされているとか。
(栗)笹目さんと助川さんの関係みたいに、お互いの翻訳をできる存在が会社中にいて
(笹)そう、そうなるのが一番気楽でいいじゃないですか。この人何を考えてるんだろう、 大丈夫かなみたいな。いちいち確認する必要ないものがベースになって安心して働くほうがすべての人がのびのび働けるよねって思う。
(栗)進化しやすいですよね
(笹)そう。そこってそれぞれの会社で「あなたの会社だとどういうところでしょうかね」 っていう問いかけから始まって、そこを整えて言葉にして最終的にアウトプットしてというのがやりたいことなんでしょうね。やるべきことに、こうあるべき姿みたいなものをみんな共有して、何を言ってもそこについていって。
●最後に雑談的に
(栗)前の取材で助川さんが「働くのが楽しくなった」って言っていたのがすごく印象的で 10
(助)そうそう。やっと人のために頑張ろうって思えるようになった。それまではやらされてる感。笹目さんにじゃなくてお客さんに搾取されてる感じ、何でそう思っちゃうかわからなくて。イラスト納めても全然嬉しさとは違う。でも BANSO ではお客さんの話を聞いて て、この間会っていた感じと人が違う感じになってるとか、そういうのにちょっとでも携われるのは喜びだなって本当に思います。それって自分の能力だけじゃない。本人が「それってこういうこと?」って勝手になっていくのが、それを見るのもまた「ああ、すげ~」と思って。生きてる感じしません?
(栗)助川さんはサイトをリニューアルしたときに、こんな部分が伝わったらいいなという 部分は?
(助)そうですね…… 聞かせて欲しいと思っています。思っていることをどんなことでも。それが入り口になる感じは本当にします。社長さんも働いている方も。イメージみたいなものを話してくれないと 途端にわからなくなる。具体的な指示とイメージが紐づかない指示をされちゃうと、「なんでこういうこと言ってるの」ってなっちゃって、身動きが取れなくなっちゃう。これが何を意味しているのかとか、一緒に話していてわかればすごい面白いものになると思うんです。 だから本音を話してくれたら嬉しいです。今思っていることを臆せず話してくれるといいなといつも思っています。
(栗)そのために聞き方を試行錯誤したって言ってましたね
(助)うん。そうしないと我々は作れない。あとは決まってくれば、あと作るのはこっちの仕事。元々持っていたものに、そのイメージをアウトプットに繋げていくことがやりたいこと。その繋ぎ目を言葉でどう表現するかが難しいですよね。デザインの話は見てわかりやすいものなので伝わる。だから今日 BANSO にまつわる半分の部分の話ばっかりしてる。本 来は作るものも含めて TRUNK。どう紐づいていくか、今話していて思った。
(笹)いま話していたこの伝わりにくい話を、どうウェブサイトで表していくかというとこ ろが、自分らの会社のことになった途端に皆目わからなくなってくる。どの部分を切り取れ ばいいのとか。今2人のやり取りを見ていて、栗林さんの質問からすると、「トランクはウルトラマンエースで北斗と南がやってます」みたいなところ。「北斗がやってます」じゃな いところが、一つはもう少し世の中に伝わってもいいのかなと。「デザイン事務所北斗」じ ゃなくてエースなんですみたいな。
(助)トランクなんですと
(笹)ああそうそう。自分の能力だけで切り抜けられると思っていないんで。それは岡部の 存在もそうですけど、とっかかりっていうのは北斗と南でできているっていうのは。そこは 今まで内側のことだったんだけど、わかりにくいことを話していくっていうことに関して言えば、そういう成り立ちである。それぞれがそういう役割があるということを伝える必要 があるかもしれないなとも思ったし。栗林さんからのメールに「社員の写真が載っていないのはなぜか」っていう質問、そこはそういうことかなと思ったり。
(映像のご相談について)
(笹)(※映像に関する話の続きとして)…でも「会社の魅力だったりを考えて伝えるのって、時間もお金もかかるんじゃん」って思うんですよ、結局は。そんな簡単じゃないよなって。自分のことを表現するのもそうだし、お客さんの何らかを取り扱うのも結局そうだなっ て最近は思っていて。数カ月とか1個の媒体で何かやっつけるっていう話じゃないっていうか。最低1年とかかかって、じゃあ何で表そうかとか。まずは表すこととか考えないで全部言葉にしてみようとか、そういうところから始まった上でどうしていこうかっていう、割と忍耐強くないとやれないようなことをやらない限り、本当に伝えたいことだったりとか、言わなきゃいけないことにたどり着けもしないし、表現もできないんじゃないかなって思っていて。なんかそういうことが大事だよねっていうことを、で、最終的にはこういうものに落ち着いていきますけどね、みたいな。それがうちの最終的なアウトプットでありサービスなんで。そこに行きつくまでの大事なものは、いわゆる日本でいうこういうデザイン業でやるステップではとてもじゃないけどもう行きつかないものになってて、誰もそんな従来のデザインやり方で作ったものを提供されても満足しないまんま、そういうのを繰り返し再生産していくようなものは、あんまりもうやらなくていいんじゃないのって思っちゃうんですよ。そういうことが伝えたいんですよね。それは割と複雑だし、めんどくさいし、気長にやらなきゃいけないし、お金も時間もかかる。でも大事なことを伝えるってそういうもんだって思う。そうじゃないと、きっとそんな簡単ではない気がするんですよね。
(↑ここがドローイングアンドマニュアルの文章にあたるような、等身大の思いに感じました)
(栗)その部分とても良いと思います
(助)そうか。だからこそね、尊いものだもんね。簡単に見つかってたまるかい!って。
(笹)そうそうそう。
議事録をまとめながら考えたこと
■やるべきことをやる⇒主語のような部分があるとしたら?(〇〇のために、とか〇〇だから、とか)
(覚悟?幸せ?)
■これでいいのだ ↑「これ」を笹目さん、助川さんなりに言語化すると?
「いい」を言語化すると?
■(自分のなかの)北極星は、** / 北極星に向かおう
「大草原を心に描く」と聞いて。北極星が見えていれば方位磁針もデジタル機器も無くとも身ひとつで進みたい方向(やるべきこと)を見失わないもので、安心して生きていけると感じました。人工物ではない絶対的な安心感。
■今までお二人が作って来た、色々な会社のコンセプトを色々知りたいです。↑のように考えるヒントになりそう。
■「一生懸命さ、泥臭さを感じてほしいけど、喧々諤々という情景を描いてほしいわけでは ない」という話が出ましたが、作る過程の苦労のことではなくて、今回自然と口についたような BANSO への感情をシンプルに文章(ドローイングアンドマニュアルのような)にす ればいいように感じました。ドキュメンタリー畑の人の特性によるものなのかもしれませんが、私には人の気配が入ることが大切なように思えています。(議事録の黒字の部分のあ あたりとか)